ボリビア奮闘記ー小学校の先生、ボリビアへ行くー

2018年1次隊青年海外協力隊、ボリビア派遣。三重県の現職小学校教員です。日本の勤務校の子どもたちに見てもらうため、これから青年海外協力隊ボランティアを目指す教員の方に見ていただくためにブログを書いてます。ボリビアでの生活、活動をどんどん紹介します!

ルレナバケ出張

 

 

金曜日から日曜日まで、ルレナバケ出張だった。

目的は日本文化フェスティバルのお手伝い。

 

ルレナバケはラパスから飛行機で40分のところにあるアマゾン地域。

標高は約260m。つまり、ラパスの標高とは富士山一個分もの違いがある。

(帰ってきたときには、手足がしびれ、頭痛がした(笑))

 

ルレナバケには、日系社会があり、そのフェリアのお手伝い。

日系社会の方々ときちんと関わらせていただくのは初めて。

 

フェリアでは、

 

ようかい体操とソーラン節を子どもたちと披露。おかげで子どもと仲良くなった。

 

一番張り切ってるのが私。

 

また、浴衣の着付けや

 

折り紙、習字コーナーもさせていただいた。

 

一番心にのこったのは、日系家族との交流会。

 ボリビアへ来る前に、日本に住むボリビアの方々の人口が、三重県は全国第2位ということを聞いたことがあった。

そのため、日本で働いている、あるいは働いたことがあるボリビアの方にどういう思いで日本へ来たのかなどの話を聞いてみたいと以前から思っていた。

現在、ルレナバケの日系の家族の代表を務めていらっしゃる方が、20年、三重県に住んでおられたということ、そして、他の方々も三重県ではないものの、近隣の県で働いたことがある方がたくさん会場におられたため、いろいろとお話を伺った。

 

 

 そこでは、自身の娘に日本の名前を付けられた方がいた。その人は、「自分が日本で働いていたときに、自分の上司であった女性がとてもよくしてくれたため、その人のことを忘れたくないと思い、娘にその女性の名前をつけた」とおっしゃっていた。日本のことをとても笑顔でお話されていて、また、日本のことについてすごく質問しくださった。日本のことを好きでいてくれていることに、とても嬉しく感じた。

 

 しかし一方で、日本で住む、仕事をする大変さもお話してくださった。

「外国人」というだけで、ビザの取得が難しいこと、「外国人」と思われるだけで住みにくいことなど、いろいろ教えてくださった。

 

 私は、復職したら、ボリビアや南米にルーツのある子どもたちやその保護者と関わりたいと思っている。

子どもたちが自身の成り立ちについて葛藤が多かったり、また、保護者の方々もいろいろな面でご苦労されていると聞いたりするなかで、少しでもその力になれないかと考えたためである。

また、そのサポートだけではなく、外国の方々が日本で元気に住んでいく、働いていくには、日本人の理解が必要となってくる。復職後は、子どもたちあるいは大人の方へ向けて、いろいろ話をする機会を作りたいと思っている。今回のルレナバケでは、復職後、自分ができそうなことがさらに明確化できた時間でもあった。

  

ちゃっかり生中継にもうつりました。

 

おみやげも購入。

これは、現在、ルレナバケに住んでおられる元隊員さんのお土産屋で購入。はしおき。

 

これはボリビアカラーで、ルレナバケのうちわをモチーフにしたアクセサリー。かわいい。

 

これは、小物入れ。

 

ルレナバケの景色は、すごくきれいだった。

久しぶりに30度以上のところへ行き、夏バテのようになったが、半袖で、布団も使わずにガーガーと眠れるのは少し嬉しかった(笑)

 

カピバラ発見。

 

 

今回は出張だったので、アマゾンツアーは行けなかった。お次はアマゾンツアーに行きたい!!! 

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