ボリビア生活も1年が経ちました
現在、日本の時刻は6月26日9時30分。
ちょうど1年前は成田空港へ向かうために母親と名古屋へ向かっていた。
名古屋で最後に飲んだのはタリーズのスイカスムージー。名古屋で最後に食べたのは目玉焼きハンバーグ。
涙をこらえて新幹線に乗り込んだら、実は母も涙をこらえていたこと。
そんな母が「帰国したら一緒に飲もう」と買ってくれたワイン。
(このワインの話、ボリビアの人に話すと必ず感動してくれる。)
もうあれから1年経つのかと思うと、ものすごく時の早さを感じる。
もちろんものすごく長く感じる時期もあったが、私の活動も9か月、正味半年となった。
こうやってブログを書けるのもあと9か月かと思うと少し寂しい。
半年経って感じたことなどを書いている記事を見つけたので、1年経って感じていることを書いてみようと思う。
過去記事はこちら。
過去記事を見ていると
自分の活動は周りから認められるのか
うまく活動できるのか
自分の経験はいかせられるのか
とか
笑顔、感謝、謙虚を忘れない
日本人らしさを忘れない
活動を楽しむ
ボリビアを好きになる
応援してくれている人がいることを忘れない
とか
時間をある意味気にしなくなった
家族を大切にしようと思った
日本が好きになった
とかとかいろいろ書いてあった(笑)
もちろん、この気持ちは今でも同じ。
「住めば都」とは本当のことで、今ではラパスのイリマニ山を見ると、「あぁ、もしアナザースカイの番組に呼ばれることがあれば、絶対イリマニ山と一緒に『ここが私のアナザースカイ、ボリビアです!』って言うなあ。」と思う(笑)
ただ、1年経って、また新たな考えが出てきた。。
それについて書いていく。
①私の活動は私が主役ではないこと。
初め、「私の活動は認められるのだろうか」とねちねち考えていた自分が恥ずかしい。
私たちは何をしに来ているのか。活動の主役は先生たちなのである。
先生たちが「授業楽しいな!」「教師という職業を誇りに思う」というようなことを思ってもらうのが一番。
そのために私はいろいろなことを伝えたり、一緒になって考えたり。
日本でない国の、私を全くしらない人たちが私を受け入れてくれて、授業の技術移転をするなんて、これから先、もうないかもしれない。本当に教育委員会の方々や、配属先の先生たちには本当に感謝しているし、帰国後は、三重県の教育の力に少しでもなれたらなと本当に思っている。
②私の目指すところは変わらないということ
いろいろ考えている中で、自分の教育観というものがはっきりしてきたのではないかと感じる場面が本当に多い。
大学時代から考えていたことは、「マイノリティ」の子どもたちへの関わり。
クラスで困り感を持っている子どもたちと、周りの子どもたちをどのように関わらせていくかということを大学時代からずっと考えてきた。
その考えは今も変わらない。
でも、「マイノリティ」という表現をしたことには理由がある。
クラスで困り感を持った子は特別な支援を必要とする子だけでなく、
LGBTの子どもたち
外国籍の子どもたち
などなど多岐にわたる。
と、いろいろ考えていたら、むしろ「マイノリティ」という表現はどうなんだろうと思えてきた。
マイノリティというのは、誰から見た表現なのか。
「普通」とは何なのかということも最近すごく考えるようになった。
自分がボリビアで、配属先で、マイノリティになってみたからこそ感じることだと思う。
「マジョリティ」とか「マイノリティ」とか「普通」とか、そんなのではなく、
「自分は自分」
だと思う。
別に「自分勝手がいい」ということではない。
自分自身がその人として認められる世の中になってほしいなと。
「この人は日本人だから」とか「この人は○○だから」とかそういうくくりで話をするような世の中は終わってほしい。
そのために私は帰国後、いろんなことをやってみたいなあと思う。
困り感を持つ子どもたちと私との関わり
困り感を持つ子どもたちと子どもたちとの関わり
困り感を持つ子どもたちと地域の人たちとの関わり
もちろん子どもたちだけでなく、大人の人たちに向けても・・・。
そのためには、ボリビアで悔いのない活動をすることが大事だと思う!
残り9か月、頑張ります!
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