すべての子どもに学力を
今日、ある先生が、「今、子どもたちに教えるのに自信がなくて、まやとは一緒に活動できない」と言ってきた。私は正直に言ってもらえてうれしかった。
先生がどう感じているかもわからなかったし、それでも私はとことん「参加してください!」と話しかけていくべきなのか悩んでいたから。
子どもたちが元気すぎて、うまくクラスをまとめられないときは、担任はかなり辛い思いをする。「あぁ、なんでできないんだろう」と他人と比較ばかりしてしまう。他の先生のアドバイスを聞けばよくなるかもしれないじゃん!と思う人もいるかもしれないけれど、まずは、先生がそういう状況になっていなかったら意味がない。
だから私は、「正直に言ってくれてありがとう。うれしいよ。でも、もし時間があれば、タジェールに来てね。そして一緒に話しましょう。」とだけ伝えた。
これが今、私ができることだと思った。
さてさて、本日のタイトルへいきましょう。
これからお話することは、もしかしたら自分自身、間違っているかもしれないし、読者の方とは違う意見かもしれません。
「まやはこう考えているんだな!」という感覚で読んでいただけると幸いです。
「すべての子どもに学力を」
これは、青年海外協力隊をめざそうと思ったときにまず思ったこと。
日本の子どもだけではなく、途上国の子どもたちにもそうなってほしいと。
そういうわけで、ここ、ボリビアへ来た。
この思いは8年前も、今も変わらない。
では、「学力」とはなんなのか?
日本では学力調査もある。市内でも同様の学力調査がある。
もちろん、読み書き計算は大人になって、職を手にするためには必要な物である。
もちろん、発達障がいの子どもたちと関わっていた大学時代も、自分も担任をしていたときも、これは必ず身に着くようにとやってきた。
でも、果たしてそれだけが学力と言えるのだろうか?
日本でも同じようなことを考えてきたが、ボリビアへ来て、その疑問はさらに明確になった。
計算ができたら学力がついたのではない。
言われた通りの文字が書けたら、学力がついたのではない。
それだけではないと。
では、なんなのか。
自分の考えとしては、
思考する力、判断する力、そして決断する力だと思う。
大きくなっていくときに、将来どうなりたいか、どうありたいかを考える。
そんなときに、未来を見据えて、
自分のしたいことを考え、
それに向かうにはどうしたらいいのかを考える。
また、目の前で何か出来事が起こっているとき。
それは果たして正しいことなのか、それともおかしいことなのか。
これこそが大人になるのに身についていてほしい力。
もちろん、そのためには読み書き計算もできていないといけない。
でも、こういう力を身に付けるのも子どもの間に必要なこと。
そのような力をつけるのに、おそらく日本の先生たちは学級経営で、授業で、いろんなことを工夫している。
これが、2019年4月10日の私の考えていること。
ボリビアへ来て、いろんなことを考えるようになった。
ボリビアの先生たちにどこまで伝えるか、難しいけれど、自分の思いを伝えられるようになりたい。
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