ボリビア奮闘記ー小学校の先生、ボリビアへ行くー

2018年1次隊青年海外協力隊、ボリビア派遣。三重県の現職小学校教員です。日本の勤務校の子どもたちに見てもらうため、これから青年海外協力隊ボランティアを目指す教員の方に見ていただくためにブログを書いてます。ボリビアでの生活、活動をどんどん紹介します!

自宅待機から38日・・・戻ってこれました!涙

 

 

自宅待機が始まって38日。

予備的措置で他都市に移動してから2週間。

無事、ラパスに帰ってこれました涙!!!!

 

ブログでは内緒にしていて、家族や日本の学校、仲のいい人にしか伝えてませんでしたが、11月16日から2週間、予備的措置として、ラパスを離れていました。

 

それが決まったのが11月15日の朝。ラパスを出たのが16日の早朝。

本当に頭が真っ白になりながらの避難でした。

「もしかしたら帰ってこれないかもしれない」ということで、荷物をまとめ、部屋の掃除をしました。

テレサにそのことを伝えるとき、いろんな気持ちで涙が出ました。

 

実際、自宅待機の生活は想像をはるかに超える辛さでした。

活動に行けない。

ニュースではダイナマイトを使ってデモをする人の様子。

毎晩毎晩繰り広げられる抗争。

町中のいろんなもの、建物が燃やされる様子。

朝方までサイレンと爆竹と人の叫び声で眠れないこともありました。

また、活動に行けない悔しさ。結局丸々一か月活動をしていません。

先生たちは危ない思いをして出勤しているのに、急に行かなくなった自分が最低だとも思い、悩みました。

 

物流も途絶え、ガソリンの供給もなく、テレフェリコ(ロープウェイ)も停止するというかなり緊迫した状況のなか、JICAの事務所の方々が予備的措置を取ってくださいました。

ラパスに帰れないかもしれないという悲しさもありましたが、「やっと、爆発音を聞かなくていいんだ」「やっと、眠れる」という安心感もありました。実際、JICAの方々には本当に感謝をしています。

 

16日当日、空港へ向かう際、道路封鎖が始まっており、空港に着くかも不安になりました。

いろんなことがラパスとエルアルト(空港のある場所)で起こり、車のなかでも緊張感がありました。また、空港では、扉は閉まっており、警察が身分証の提示を求めていました。

 

16日から29日までは、全隊員が集まりました。

みんないろんな思いを抱えた中集まったのに、避難初日は私の誕生日だったので、ケーキをプレゼントしてもらいました。

 

予備的措置の前に、危険だからということで、他の地域へ移動する人もいましたし、

道路封鎖されていて、移動したくてもできない人もいました。

 

でも、みんな思うことは、

ボリビアにまだいたい

活動を再開させたいという思いでした。

 

自宅待機や予備的措置でストレスがかかっていないか、丁寧に健康管理員さんも対応してくださり、ほっとしました。

移動した後は、3日ほど、眠たすぎて大変でした。それだけ3週間の自宅待機で眠れてなかったんだなあと思いました。

 

ラパスに帰るまで、校長先生やCPがいつも連絡をくださいました。

家に着いたときには、かわいい犬たちとテレサが出迎えてくれました。

帰ってこれて、本当によかった。

ただ、このことをきっかけに、任地変更を余儀なくされた方もいました。その方の気持ちを思うと、胸が痛くなります。それでも前向きにがんばろうとされている姿をみて、なんとも言えない気持ちになりました。

 

教育隊員は、12月から夏休みが始まります。私も来週の会議が終われば夏休み。

とにかく一週間は必死に先生たちと関係の再構築をしていく予定です。時間がもらえるのであれば、したかったワークショップも。

2月に新学期が始まるので、私の活動は実質残り1か月半となりました。

11月は追い込みの時期と決めていたので、かなりショックですが、仕方がありません。

 

とにかく来週、頑張ります。

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