子どもに夢を持たすには、教員自身も夢を持つべきだ
今日、カウンターパートから久しぶりに連絡が来た。
何かと思ったら、「誕生日おめでとう」は日本語でなんて言うんだ?という質問だった。今日はいとこの誕生日らしい。
そんな素晴らしい日に日本語を使ってくれるだなんて。やっぱりカウンターパートが大好きだ。
別件。
本日インスタ(maya_bolivia)のフォロワー数が500人になった。
もちろん他の隊員でそれ以上の人なんてたくさんいるし、
500人の中には、よくわからないビジネス勧誘の人もいるが、嬉しい。
それだけの人たちが自分の投稿を見てくれている。
たまにいただく応援メッセージはものすごく嬉しい。
残り1年2か月のアカウントだが、頑張って投稿したい。
SNSというのは使い方一つ変えればかなり危ない。でも、自分たちの協力隊活動を知らせるいい機会になるし、またボリビアを知ってもらえるチャンス。
ボリビアはウユニ塩湖だけではないことを知らせたい!
さてさて、本題。
今日は新隊員の方と会った後、語学学校の宿題をしていた。
(今回ものすごい量の宿題が出てかなりきつい(笑))
今回のテーマは「未来について」。
作文の宿題として、「自分の今後25年間について」と、「未来の教育について」の宿題があった。
日本にいたときには、小学校から「教員になりたい!」と思ってずっと進んできた。
教員になったあとは、夢を持たずに仕事していた。
誤解をまねかないように書くが、「子どもたちにこうなってほしいな」とか、「こんな子どもになってほしい」という人に抱く夢はもちろんあったし、今でもある。
でも、「これから自分がどんなことをしたいか」というのを考えるのは後回しにしていたように思う。
昨年度の卒業式、自分の卒業生にこう言った。
「これから自分の夢を持って、頑張っていってください。」と。
それは子どもたちに響いたのか・・・と言われたら分からない。「私も今、夢があって、それに向かってがんばっていきます!」と言ったが、その時は私がここへ来るなんて知らなかったし、その夢も明かさなかったから。
やはり夢を持ってイキイキとしている教員が目の前にいた方が、子どもたちも自分の夢を持ってがんばろうと思うんじゃないかと思う。
自分の被教育時代、いつも目の前にはイキイキとした先生がいた。
だから私は教員になりたいと思ったんだと思う。
協力隊時代はたった2年しかない。人生80年の中での2年だ。
この2年は、これから生きていくための糧になる2年。
私の夢はまだ終わらない。
帰国後、どうやって子どもたちと関わるのか、
帰国後、どんな風に南米にルーツのある子どもたちと関わるのか、
残りの1年2か月でいろいろ考えたい。
このブログは
協力隊を目指す人、協力隊を目指す現職教員
そして子どもたちに自分のリアルを伝えたくて投稿しています。
こんな感じで、もやもや・つらつらと投稿することもあると思いますが、
これが一人の人間、一教員、一現職隊員が考えることなんだと思って見てもらえればと思います。
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