任地123日目ー補習授業ー
今日からは補習授業。
昔は小学校での落第が当たり前だったらしいが、最近では「やっぱりそれは・・・」という考えになってきたらしく、少し学力的に厳しい子どもたちは補習授業に来ることになる。
6年生は水曜日で最後であるため、全員参加。
その他のクラスは10人程度。多いところでは半数以上の子どもたちがいた(笑)
私は、8月から見てきて一番気になった子どもたちのクラスへ行った。
かなり学力的に厳しい子どもたち。
でもやる気はあって、褒めてもらえるとすごく喜んでハグをしてくる。
そんなクラスへ。
行くと担任の先生は通院かなんかで休みで、別の先生が来ていた。
クラスに子どもは8人。
ここから私は、かなりつらい時間をすごした。
まず先生はこう言った。
「あなたたち、なんでここにいるかわかりますか?」と。
これ以上のことを言っていたけれどもう思い出したくない。
なぜそんなことを言うのだろう。
子どもたちは親に励まされここに来ている。
(実際、週末に保護者と子どもに会って、お母さんは「まやと頑張っておいで!」って言ってた)
しかも実際問題、子どもたちにやる気がないわけではない。
本当に難しいことが多い子どもたちなのだ。
次3年生だが、繰り上がりの計算をするときに指を使う。
しかし、「8」と言われてその数字を指ですぐに出すことが難しい。
でも1、2、3・・・と数えてなら出せる。
「15」と言ったときにその数字を書くのが難しい。
でも、「15」は「1」「5」と言えば書ける。
途中から数を数えられない。
でも一緒に数えていって慣れれば自分でできる。
板書は一文字ずつ見てしか視写できない。
なんでじっくり見てあげないんだろう。
じっくり一緒にやっていると、「でもこれはできる!」というところが見えてきて、それを使いながらスモールステップでできた。
先生は「早くしなさい。」と言う。
九九も覚えるのが難しい子どもたちが、そんな言葉を言ったらすぐできると思うのだろうか。
そりゃ分からなくて助けがなかったら集中も切れて遊んでしまう。
また、なぜ補習授業でその子たちしかいないのに、その子たちに合ったレベルから始めないのだろう。
また、「もう時間切れです」と黒板を消すのだろう。
一番困っている子がほとんどできた!っていうくらいの授業になぜしないんだろう。
私は「ぜったい、この子のノートにmuy bien(よくできました)を書いてもらうぞ」という意気込みで支援に入った。
計算もかなりてこずる。でも10問あって、5問目くらいになると、どんどん自分でやっていく。
muy bienがもらえた!!!!!
その子は本当に嬉しそうだった。
これまで観察に入って一度も書いてもらったのを見たことがなかった。
「お母さんに見せる!!!!」って言ってた。
今ごろすごく褒められているだろうなあ。
いつも日本の配属先の校長先生が言っていた
「子どもの行動の背景には、必ず理由がある」
やっぱり私たちは、その行動の背景をきちっと見極めて、
その子にあった関わり方をする必要があると思った。
子どもたち、一人ひとり違う。
いくらたくさん技を持っていても、その持っているすべての技を使ったとしても、
できるようにさせてあげられないかもしれない。
でも、「絶対できるようにさせてあげたい!」という気持ちがあれば、何かしらはきっと変わると思う。
でも、これって言葉で言っても伝わりにくくて。
ましてやここは違う文化圏。
どうやったらこれが伝わるんだろう。
悩みは尽きないなあ。
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