ボリビア奮闘記ー小学校の先生、ボリビアへ行くー

2018年1次隊青年海外協力隊、ボリビア派遣。三重県の現職小学校教員です。日本の勤務校の子どもたちに見てもらうため、これから青年海外協力隊ボランティアを目指す教員の方に見ていただくためにブログを書いてます。ボリビアでの生活、活動をどんどん紹介します!

任地43日目ー両親ー

 

 

本日は活動後、事務所へ。

ファミリーデーというのに参加。

職員さんのお子さんを呼んで、どんなお仕事をしているのかな?というのを見るという日。

私は、折り紙教室のお手伝いへ。

ナショナルスタッフの子どもたちもいて、つたないスペイン語で折り紙を教えるのは至難の業。でも、楽しそうにしてくれてよかった!

こういう機会って、どんな職場でも絶対大切だよなと思った。

 

 

参加させてもらって、両親のことを思い出した。

(「思い出した」と言っても、今でもほとんど毎日連絡を取っているが)

ボリビアへ来て、いつも思い出すのは最後の家族で食事した日のことと、母と名古屋駅で別れたときのこと。

なんともうまく言えない感情である。

社会人になって一人暮らしを初めた日は、こんな感情は全く思わなかった。

 

いくら連絡をとっていても、会えないのである。

家族がもし困ったことが起こったとしても、すぐにかけつけることはできない。

 

「大人になって、なんて幼いこと言っているんだ」と思われるかもしれないけれど、

これだけ離れているといろいろ思う。

きっと、隊員はいろいろ感じることがあるだろう。

 

家族で食事した日、本当は直接手紙を渡そうと思っていた。

でも、やっぱり恥ずかしくて、そして泣いてしまうと思ってやめてしまった。

結局は、郵便で送った。

母と最期名古屋で別れたとき、「じゃあ、いってきます。」と言って、その後は一切後ろを振り向かずに歩いた。

振り向いたら絶対泣いてしまうと思ったからだ。

でも今思えば、ちゃんと面と向かって渡せばよかったと思ってるし、

別に泣くことは恥ずかしいことじゃないからちゃんと手を振ればよかったなと。

 

ここまで自分がしたいようにさせてくれた両親。

協力隊を受けると決めた日も、反対せずいてくれた。

訓練がはじまる前にくれたアルパカのマスコット。

「まやは大丈夫」って刺繍もしてくれた。

訓練間近になって父と会ったときに、「これ!」って見せてくれた手紙。

私が小さいときに渡した手紙を、財布に入れてくれていた。

名古屋で別れたあと、母が2年後に一緒に飲むと買ってくれたワイン。

2年後までもつワインを探してくれたらしい。

 

今できる親孝行は、元気に活動をして、それを伝えること。

そして、何事もなく安全に帰ること。

 

また明日からもがんばろう!

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